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9月24日(木)日本心理学会:PTA問題シンポ
【5136】 FJN 2015/08/24(Mon) 22:39
ウェブを、
  PTAの現状と課題をどのように「可視化」するか?―文化,ジェンダー,道徳性
――で検索してみました。
  ◆その結果――★click here★

【5150】 FJN 2015/09/07(Mon) 22:13
以下、ブログ<まるおの雑記帳>の関連エントリ★click here★から抜粋します。

日本心理学会第79回大会(名古屋大学)
公募シンポジウム
9月24日(木)9:20〜11:20
第3会場/4号館431

SS-074
PTAの現状と課題をどのように「可視化」するか?
―文化,ジェンダー,道徳性―

企画代表者,話題提供者,司会者: 竹尾和子(東京理科大学)
企画者,話題提供者,司会者: 戸田有一(大阪教育大学)
話題提供者:尾見康博(山梨大学)
指定討論者:加藤薫#(文化学園大学)
指定討論者:やまだようこ(立命館大学)

  注)#印は日本心理学会会員以外であることを示す。

話題提供者・尾見さんのことは以下が参考になります。
◆1◆2013年2月の≪公開講演会『PTA:しんどくてもやめられない理由』≫案内――★click here★
◆2◆日本子育て学会サイトの書評記事――★click here★

なお私は、尾見さん、加藤さん(まるおさん)の御発言に関心がありますものの、それにまさるともおとらず、京都大学名誉教授やまだようこさん(ウィキペディア★click here★参照)の御発言に期待するところが大きいです。
・・・なんてったって≪七人の敵がいる≫/≪七人の敵がいる!≫(ウィキペディア★click here★参照)のヒロインが【山田陽子】――TVドラマ系画像★click here★の赤い服の人物――ですから(微爆笑)。

●論文サイトの【やまだようこ】――★click here★
●立命館大学サイト参照――★click here★


【5153】 FJN 2015/09/17(Thu) 23:45
このシンポジウムは何にフォーカスするか、その意図が学会サイトに出ています。
PTAの現状と課題をどのように「可視化」するか?
     ー文化、ジェンダー、道徳性ー
[企画代表者、話題提供者、司会者] 竹尾 和子:1
[企画者、話題提供者、司会者] 戸田 有一:2,
[話題提供者] 尾見 康博:3,
[指定討論者] 加藤 薫#:4,
[指定討論者] やまだ ようこ:5
1:東京理科大学, 2:大阪教育大学, 3:山梨大学, 4:文化学園大学, 5:立命館大学

PTAは、保護者と教職員が協力しながら、こどもの成長に貢献すべく活動を行っている。
そのよりよい在り方を模索し、実践することは、こどものよりよい成長・生活の場を作っていくということに他ならない。
その意味で、PTA問題は、教育心理学および発達心理学における重要な研究テーマでありながら、今まで、十分な研究がなされているとはいいがたい。
PTAの現状については、最近、メディア等では扱われており、そこでは、自動入会の是非、人権に配慮できていない役員・委員決め、業務の過大な負担と改善の先送り、保護者と教職員の関係性の問題などが指摘されている。
メディアの言説に任せるのではなく、PTA問題を学際的にとらえて問題を「可視化」する第一歩として、本シンポジウムでは、PTA言説を研究レベルに載せるための方法論や視点について、多角的に話題提供いただく。
指定討論をうけ、PTA問題の心理学研究の糸口と展望を探りたい。
  ◆日本心理学会サイト――★click here★

・・・シンポジストたちは当然、
  岩竹美加子論文≪国家の装置としてのPTA≫(2006)
――を一読しているだろうという気になってきました(微笑)。
  ◆ウェブを「国家の装置としてのPTA」で検索――★click here★

  広田照幸論文≪学校は家庭・地域と連携できるのか≫(2001)
――も教育社会学系のスリリングでチャレンジングな論文かもしれません。これはウェブでPDFファイルが読めます。
  ◆参照サイト――★click here★

なお、日本のPTAは、ある意味で外国人によって可視化されています。ウェブで読める記事を2つ挙げます。
  ●ブログ系:≪The PTA in Japan≫(2012)――★click here★
  ●新聞系:≪The PTA:a survival guide for foreign parents≫(2013)――★click here★(ラフな日本語訳は★click here★

また、1948年以後の学術的/学際的なPTA記事・論文が、論文サイトciniiで検索すると200本以上ヒットします。
ウェブで読めるものと読めないものを含めて、タイトル等がわかります。
   ◆ciniiサイト検索――★click here★

PTAのユーチューブ的な可視化、というのも考えられます。
   ◆YouTubeサイトを「日本 PTA」で検索――★click here★


【5154】 ぶきゃこ 2015/09/19(Sat) 16:00
FJNさん、もろもろご紹介ありがとうございます。

ご紹介いただいた中では、広田照幸氏の論文が一番うなりました。
非常にうなずけるポイントが多くあったし、全体論としては私にとってYesなのですが、その大筋を語ろうとするなかに「『子供の教育なんか二の次』という状況にあるような親にかぎってPTAの会合に出てこない」という暴論がひょっこり出てくるのは「?」というかんじでした。それは、あなた自身がまさにいま語っている主張と、どういうふうに矛盾しないの? と思いました。

父親は「PTAの会合に出たことがない」割合が圧倒的に多いのではと思うのですが、父親というものは「子供の教育なんか二の次」という状況につねにあった、ということになるのでしょうかね。
PTAへの関与度を親の品質の物差しにするのは、そろそろかんべんしてほしいものですが…。


【5155】 FJN 2015/09/23(Wed) 13:12
ぶきゃこさん、レスありがとうございます。
はい、御指摘の箇所を含むあたりが当時の広田さんの限界であり、考察が粗忽なところだと思います、私も。広田さんの論文記事が公表された2001年4月ころに私は公立小学校のPTAの会員だったので、そう思います。
広田さんの「強い家庭」「弱い家庭」という分け方がザックバランすぎることも、粗忽さの遠因かもしれません。
以下に、御指摘の箇所を含むあたりを掲げます(広田論文のp.44下段からの一段落の主要部分。論脈からいって「弱い家族」の「家族」は「家庭」の誤植だと思います)。
「学校・家庭・地域社会の連携」の一環として進められている、各種の講座開設や施設の設置や開放という方向には、大きな限界があることがわかる。利用者は、子どもの教育に強い関心と熱意をもち、情報を集めたり出かけたりするだけの余裕のある、「強い家庭」の親や子どもに偏ってしまうということである。日々の生活に追われているような親は、休日にはごろ寝をするか、テレビを見たり、頭を使わないですむようなレジャーに出かけたりする。家庭内がバラバラになっているような家では、「みんなで博物館に行こう」などとは絶対にならない。つまり、「弱い家族」〔⇒「弱い家庭」?〕は、社会教育施設なんぞには足が向かないのだ。「子どもの教育なんか二の次」という状況にあるような親にかぎってPTAの会合に出てこないのと同じ構造である。
人は『あ、つまらない』と感じる各種の講座や施設に集まらないものです。PTAの会合に人が集まらないのも『あ、つまらない』と感じさせるものだからかもしれません。

現時点で広田論文を私が読解して『2001年4月ころの限界だな』と感じるもう1つは、【学歴】という用語です。p.43上段に、こうあります。
学校に対して具体的な要求や苦情をつきつける親も増えてきた。教師と同等かそれ以上の学歴を持ち、多忙な教師よりもはるかに広い知識や情報に接している親が増えてきた時、彼らは遠慮なく学校や教師に批判や要求を浴びせるようになったのである。そこには、家族エゴイズムというネガティブな側面があると同時に、学校の体質(秘密主義など)の改善を求める、ポジティブな側面もある。
「学歴」を「学習経験」または「見識」と読み換えて理解する手があると思いました、私は。なお、「つきつける」「浴びせる」を「伝える」と読み換えて理解する手もあると思います。

なおなお、この広田論文には以前(【1811】★click here★と【1820】 ★click here★)も触れたことがありました。


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